2009 年 3 月 のアーカイブ

水田ラプソディ

2009 年 3 月 18 日 水曜日

▼山あいの田を借りて、今年も米を作っている。梅雨の晴れ間をぬって、先日、田の草取りをした。足を入れて腰をかがめると、伸び始めた稲のあいだで生き物がさかんに動く。

▼オタマジャクシがゆらゆらと逃げていく。ゲンゴロウも大あわてだ。アメンボはすいすいと、われ関せずの風情である。ヤゴもいる。遠からずトンボになって、夏の里山を飛び交うことだろう。

▼米作りには様々な言い習わしがある。生き物に関するものも多い。たとえば「ヘビのいる田は良い田んぼ」と言う。そうした田にはヘビの食べるカエルが多い。カエルは害虫を食べてくれる。生命の「つながり」の中で稲もすくすく育つというわけだ。

▼「生物多様性」と聞けば難しいが、つまりは「生命のにぎわい」である。畦(あぜ)にはミミズが這(は)っていた。目立たないが「自然の鍬(く わ)」だ。食べた土は糞(ふん) になって、肥えた土に生まれ変わる。多い所では、1平方メートルあたり年に25キロにもなるという。

▼吉野弘さんの詩の一節が思い浮かぶ。〈生命は/自分自身だけでは完結できないように/つくられているらしい……しかし/互いに/欠如を満たす などとは/知りもせず/知らされもせず/ばらまかれている者同士〉。地球上の生物は、分かっているだけで175万種に上っている

▼青田の稲は、梅雨が明ければ穂を出すだろう。長命だった江戸の文人、大田南畝が狂歌を残している。〈人生七十古来稀(まれ) 食いつぶす七十年の米粒の数かぎりなきあめつちの恩〉。命のにぎわいに育まれて、青田は秋には黄金色の波になる。

対決―巨匠たちの日本美術

2009 年 3 月 18 日 水曜日

▼信長と秀吉に仕(つか)えた絵師、狩野永徳(えいとく)は、以後300年続く狩野派の栄華(えいが)を決定づけた。最晩年、狩野家が独占する御所 の襖(ふすま)絵制作に割り込みを策す絵師がいた。激怒(げきど)した永徳、公家(くげ)筋を動かし、その「はせ川と申す者」を外させる。長谷川等伯(と うはく)だ。

▼評論家の室伏哲郎さんは近著『ライバル日本美術史』(創元社)に「永徳は、等伯のなみなみならぬ野心、タフな行動力、強力なネットワークに度 肝を抜かれたことだろう」と書いた。好敵手(こうてきしゅ)現る、と軽くまとめては永徳に怒られよう。過労に心労が重なり、ひと月後に急逝するのだから。

▼東京国立博物館で「対決―巨匠たちの日本美術」展を見た(8月 17日まで)。美術史に輝く12組を選び、作風の違いを楽しむ趣向だ。国宝 ·重文約50点を含む名作が入れ替わり展示される。

▼永徳の「檜図屏風(ひのきず びょうぶ)」に隣り合い、等伯の「松林(しょうりん)図屏風」。濃く彩られた檜は、金地から飛び出す勢いだ。片や、涙でにじんだような水墨の松林は、頼りにしていた千利休と、愛息(あいそく)を続けて亡くした時期の作という

▼二つの国宝の間は2メートルもないが、火花が散る風ではない。作者は互いに目を合わさず、正面に群(むら)がる私たちに評価をゆだねる趣だ。居心地は、まあ悪かろう。どちらも「並べるかね、それと」とつぶやいている。

▼この特別展は、現存の美術誌では世界最古という「國華(こっか)」の創刊120年にちなむ。宗達と光琳、円空と木喰(もくじき)、歌麿に写楽。通し見て、文化の熱源とは先人の独創を超えんとする執念だと知った。花を見て、花となり、やがて華になる。

国語学者の大野晋さん

2009 年 3 月 18 日 水曜日

▼旧制一高の入試に挑んだ国語学者の大野晋さんは、落ちたらパン屋になろうと思っていたそうだ。合格発表には父親が行ってくれた。首尾よく合格していた。何番で合格だったかと聞くと、父親は一息おいて「お前の後には誰もいないよ」(『日本語と私』)。

▼28人中28番。日本は腕の良いパン職人を失ったかもしれないが、優れた国語学者を得た。日本語の源流を追って時を超え、海を渡り、旅を続けてきた。その大野さんがきのう、88歳で亡くなった。

▼東京の下町の砂糖問屋に生まれた。中学時代、山の手の級友宅へ遊びに行き、シチューやピアノに驚いた。同じ東京なのに言葉づかいも食べ物も違う。ショックを受けて下町へ帰ると、慣れ親しんだ「日本」があった。

▼そうした体験をへて、「日本とは何か」が終生をかけた問いになる。還暦を過ぎて、南インドのタミル語に日本語の起源があるなどと発表して論争を呼んだ。大胆さゆえに批判もわいたが、信念はゆるがなかったようだ。

▼硬軟織りまぜて日本語の知恵袋であり、ご意見番でもあった。小紙の記事も、疑問には大野さん頼みが目立つ。たとえば、開店祝いなどで「〇〇さん江」となぜ書くか。大野さんいわく、「へ」だと「屁(へ)」を連想するからでは?

▼最近の文芸春秋誌の鼎談では、日本人が日本語を放棄しているようなカタカナ語の氾濫(はんらん)を嘆いていた(6月号)。交友のあった作家の丸谷才一さんは「本居宣長よりも偉い最高の日本語学者だった」と悼む。宣長と雲の上で、日本語談議を始めるころだろうか。

産業の血液

2009 年 3 月 18 日 水曜日

▼石油といえば近代の象徴のようだが、人間とのかかわりは古い。古代ローマの共同浴場では湯を沸かす燃料に使われていたらしい。日本書紀にも記録がある。7世紀、越の国(新潟)から朝廷に、「燃ゆる土、燃ゆる水」なるものが献上されたという。

▼往古には素朴に燃えていた石油だが、20世紀に豹変(ひょうへん)する。争奪や投機の対象となって人間の欲望を燃え立たせた。経済を支配して戦争を引き起こし、「世界をゆさぶる戦略的財宝」などと言われて久しい。

▼その石油にゆさぶられて、いま、日本の漁業は大シケだ。燃料代が高騰し、漁に出るほど赤字がかさむ。たまりかねた漁業者らが昨日、一斉に漁を休み窮状を訴えた。錨(いかり)を下ろしたままの船は全国で20万隻にのぼった。

▼魚に限らず、日々の食卓は「石油漬け」である。ハウス栽培も石油に頼る。たとえばキュウリ1本育てるのに約60ミリリットル、メロンなら1個で4リットルも必要だ。あれやこれやで成人男性は、毎日、ビールのロング缶に半分ほどの石油を「食べている」換算になる。

▼「産業の血液」と言われる石油は、いまや人の血肉の素(もと)にもなったようだ。代わりにと言うべきか、人の食べていた穀物がバイオ燃料に化け、車の腹に収まっていく。これが穀物の高騰を呼び、食品の値上げを誘発している。

▼石油をめぐる最古の記述の一つに、旧約聖書の「ノアの方舟」がある。ただし燃やすのではなく、アスファルト状のもので舟をしっかり塗装したらしい。気がつけば方舟よりも頼りなげな、わが石油だのみの日々かとも思う。